国東半島山ガイド
四方山話その19  松尾山の池ん戸


ガイド本掲載No.38は「松尾山」である。
 松尾山の山頂近くに池があるのが、地図を眺めながら(地図を眺めるのが好きなのである)以前からずっと気になっていた。山頂付近に池がある山としては、すぐに大船山が思い浮かぶと思うが、同じように神秘的な池を勝手に想像していた。津波戸に登った時にも山頂台地の西端の展望所から松尾山の池が見えないものかと覗いたことがある。
 国東半島の山調査を始めてどんな池だろうかと心わくわくして松尾山に出かけた時、確固たる登山ルートがなかったので、松尾集落の治山ダムの方から登ることにした。登山前に松尾集落で何か情報はないかと民家に寄って尋ねてみると、山頂の池は実は自然の池ではなくため池であることがわかった。立石藩の時に整備されたその池は地元の人から「池ん戸」と呼ばれ、昔は毎年集落の人が池の手入れに登っていたと聞いた。普通ため池は、一方に堰堤が築かれており直線になっているので地図で見てもすぐにわかるが、松尾山の池は地図上でも楕円形で自然の池と勘違いする。
 自然の池ではないということにちょっとがっかりだったが、そんな歴史に驚いた。いや、もしかしたら自然の池をため池にして、水を引いたのかもしれない。
 国東半島が、世界農業遺産に認定されているのはご存じのことと思うが、その認定理由の一つにため池の活用による効率的な水利用があげられている。特に国東半島の特徴として複数のため池をつないで農業用水を供給するシステムができあがっているということだ。貴重な水を効率的に利用する雨の少ない半島ならではの知恵から生まれたもの。山に大きな貯水池を作るという人間の智恵と努力には頭が下がる。
 実は、松尾集落の上部にある治山ダム登山口から少し登ったところにも小さな溜池がある。良くはわからないがもしかしたら山頂の「池ん戸」の中継地点としての溜池かもしれない。
  さて、治山ダムからの地元の人が池の手入れに登っていたと思われる谷筋を辿って山頂に到着し、すぐ近くにある「池ん戸」に降りてみると、そこは神秘的な雰囲気とはほど遠い泥沼だった。しかし、山の山頂付近にある溜池は、国東半島の中でもここだけである。貴重なため池だ。
 下りは、以前松尾山に登った人が付けた赤テープを辿り西屋敷に下る。里道や田んぼのあぜ道をてくてく歩いて松尾集落へ。これで、周回ルートの出来上がり。
 さて、話は変わるが、松尾山周辺の地図をよく見ると驚くことがある。立石峠から宇佐方面に下り、宇佐平野に差し掛かった辺りで正面に見えてくるのが松尾山である。普通、市境や県境は峠が境で越えれば別の地区になるので、ずっと宇佐の山だと思っていたが、なんとまだ山香町(現杵築市)だったのである。しかも、麓は宇佐市の西屋敷なので、山の稜線が市境と思いきや松尾山の大部分は山香町(現杵築市)なのだ。さらに驚くことにその市境は今では直接通る道のない両戒山の山麓まで及び江熊集落のすぐ上まで食い込んでいる。昔の地図を見ると、速見郡立石町の行政区分からそのまま引き継がれている。というか県立図書館で探してもわからなかったが、松尾山頂の溜池が立石藩の時に整備されたと語りつがれていることから、おそらく立石藩の藩境も同じだったのではと思われる。
 そして、その境は豊後と豊前の国境なのである。この不思議な境界線が引かれるまでの領地決めのせめぎ合いの歴史に思いを馳せてしまう程だ。
 ちなみに立石藩は日出藩から分藩したらしいが、わずか5,000石の藩がなぜ分藩できたかはいろいろ説はあるみたいだが謎らしい。(県図書調べ)

※ついでに、最後に他の驚く県境や国境を下段に掲載しているので、ご覧ください。

2012年3月11日津波戸山山頂稜線西端展望所より松尾山を望む。池ん戸は山頂窪みだが、ここからは池は見えなかった。
松尾山周回ルート(地理院地図)
池ん戸からの水路想定(地理院地図)
松尾集落上部の治山ダム
治山ダムより少し登ったところのため池
山頂付近の池ん戸。残念ながら泥沼である。
2015年12月26日山頂標識設置
最初の調査登山で、N上氏持参の赤布テープを付けて回ったが、後年ルート確認登山してもらったO田氏とY本嬢から赤テープが全く確認できなかったという報告。べったり付けたのでそんなはずはないと再度確認に登ったら、なんとこの布テープは色が落ちていて全く目立たないどころか、場合によっては早くも朽ちて溶けていた。以降この赤布テープは使わないことにした。
杵築市と宇佐市の市境は、宇佐側にかなり食い込んでいる。しかも宇佐神宮の奥宮である御許山の大元神社もなんと杵築側であった。
よくみると、両戒山の中腹まで攻め込んでいるし、松尾山の山頂南側には不自然な直線境が
明治36年の地図でもその境界は現在とほぼ変わらず。おそらく江戸時代の豊後、豊前の境界もこの境なのだろう。
ついでに境界の謎をいくつか
まずは、英彦山の県境。実は英彦山周辺には県境がない。歴史的に福岡県側とのつながりが大きく登山道もほぼ福岡県側がなので、山頂稜線に県境を引くのを福岡県側が嫌がったのではないかと勝手に推測する。ちなみに「日本山名事典」、「新日本山岳誌」には県境であると明記されている。また、英彦山は大分100山の一つにも数えられている。
なお、大分県境にはこのほかにも涌蓋山と一目山の間でも途切れているところがある。
県境の不思議でよく取り上げられる飯豊山である。
飯豊連峰の福島県側の入り口三国岳から飯豊本峰を通って御西避難小屋までの稜線は、新潟県と山形県に囲まれているが、なんと福島県なのである。
東日本大震災での福島原発事故の後、飯豊山に登った時、この御西小屋の小屋番さんから聞いた話であるが、この小屋が福島県であることから宿泊客が激減したらしい。変な話だ。
和歌山県の飛び地も奇妙な県境
かなりむかし、ギリシャの地図を見ていて驚いた。トルコとの国境は何とも理不尽な国境だ。
なかでも世界遺産のあるサモス島は、地勢的にはほぼトルコだ。領土を巡る歴史にきっと翻弄されただろう。
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