国東半島山ガイド
四方山話その11 弁天さんの山


 ガイド本掲載No.54「弁天峰」は、国東半島の南東部に掲載の山が少ないので、「大分県主要山岳丘陵島嶼一覧」と地図を見ながら目星をつけた山である。
 ところが、いざ現地に行ってみると作業道がかなり上まであがっているし、山頂には電波塔が建っていた。魅力ないので、そこでやめようかなとも思ったが、とりあえず別のルートから登ってみようと武蔵町吉弘側に山の麓まで入っている林道があったのでそちらから登ってみることにした。道のない斜面を適当に登るとちょうど地図上で東側小ピークの鞍部に上がり着いたので、まずはその東のピークに寄ってみるとそこには何基かの祠があった。これはもしかして弁天様が祀られていた場所かと思いながら、きっと麓の集落から登っていた道があるはずだと考えた。
 後日、麓の南の地区である吉弘の小さな雑貨屋に入って山のことを尋ねると、近くに詳しい長老がいるからと紹介された。
 その長老は弁天峰のことを西弁天、東弁天と呼んだ。そして、昭和15年の支那事変の時に部隊から逃げてきた兵隊がその山に隠れていて、村の者がこっそり食事を運んだんじゃというような話を長々と聞かされたが肝心な弁天様の話はなかった。
 それから山の反対側の北側の麻田地区にまわると、道端を1人の男性が歩いていたので、車を停め弁天峰について尋ねたら、「弁天さんには昔はようお参りしたけど今はいかんなあ」という話。話を良く聞いてみると弁天さんというのは、西弁天でなく祠のあった東弁天のようだ。やっぱり地元の人は親しみを持ってこの里山に登っていたんだと確認できた。どこから登ったのかと聞くと、山の麓を指さし、そこに多賀神社というのがあってその横から登る道があったとのこと。
 さっそくその多賀神社に向かうと、神社の横に道らしきものがあったので、それを辿っていった。荒れ果てた道は、途中でなくなったものの赤テープをつけながら登りやすい所を登っていき祠のあったピークに至る。
 そのあと、弁天さんから西弁天への快適な稜線を歩き、三角点付近に山頂標識を設置した。電波塔は興ざめだが、ここからの両子山方面の景色は国東の谷らしくて良い。
 実は、多賀神社から丸小野寺方面に国東半島峯道ロングトレイルK-4ルートが設定されており、西弁天から下って丸小野方面に向かうとこのルートに合流できる。
多賀神社から登って弁天さんでお参りし、西弁天の山頂を経て、ロングトレイルK-4ルートで多賀神社に戻る周回ルート。里山に良いルートができた。

※弁天さんとは弁財天のことで、七福神の一つである。起源は、インドのヒンズー教の川/水の女神様サスラヴァティーで、金運・財運向上(財宝の神様)、学業成就(学問の神様)、縁結び・恋愛成就などの御利益があると云われている。七福神の中で唯一の女性のメンバーである弁財天は、天女の姿で手には琵琶を持ち音楽を奏でている美しい姿で描かれる。(神仏ネット参照)
 なお、多賀神社とは、イザナギノミコト(伊弉諾尊)とイザナミノミコト(伊弉冉尊)を祀る神社 (ウィキペディア)ということで、弁財天とは関係ない。


東弁天の祠
麻田地区からの弁天峰
三角点のある西弁天に山頂標識を設置
西弁天から武蔵町丸小野の谷と両子山方面
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