国東半島山ガイド
四方山話その10 鬼の死んだ山


 ガイド本掲載No.30「鬼死岩」は、梅木秀徳著「大分県主要山岳丘陵島嶼一覧」にはないが、同じ稜線に「上長岩屋」という山名が記載されている。
 当初は天念寺耶馬の峰として「長岩屋」に加えて「上長岩屋」を掲載予定の山として考えていた。しかし、下から見たら岩壁である「上長岩屋」にはどこから登れるかわからず地図とにらめっこしながら現地の麓もうろちょろしていた。
 そして、登山口になりそうな場所を探しながら車を走らせていたある日、「上長岩屋」の麓である上長岩屋集落のバイパスがまだ完成する前に、旧道を通っていると、いかにも長老とおぼしき1人のお爺さんが道ばたの畑で作業をしていた。
 これ幸いと車を停めて、その古老にそこから見える「上長岩屋」と同じ尾根にある岩峰を指して、あの岩峰には登れるんですかと尋ねてみた。
 すると、その長老から「若い頃はこの辺の山は全て登っちょるわ、あそこも昔登ったで」という期待の返事が返ってきた。それからその岩峰にまつわる物語を蕩々と語ってくれた。曰く、【長岩屋の谷は修正鬼会が大昔から今も続いて行われているが、当初は黒鬼、赤鬼、青鬼がいた。鬼会行事の仕方には国東半島の東側の御東と西側の御西では若干違っていて、御西では、鬼は土を踏んではいけないとされている。そこで天念寺の舞台に招き入れるまでは鬼は僧侶に抱えられていく。しかしある時、青鬼が土を踏んでしまって面が取れなくなり寺に帰れなくなった。食事が取れなくなった青鬼はその「鉄砲岩」と呼ばれていた岩峰の中腹にある岩屋に籠もり続け、最後は死んでしまった。それで、それまで「鉄砲岩」と呼ばれていた岩峰は「鬼死岩(おんしいわ)」と呼ばれるようになった。】という話だった。とても興味深い話に「上長岩屋」より「鬼死岩」が気になり始め、どこから登っていたのか尋ねると、すぐ近くの谷から登っていたという。さらに「そりゃ景色がいいで、真玉海岸の貝掘りまで良く見えたわ」と古老は昔を懐かしむように目を輝かせた。
 早速、後日その谷を詰めることとした。涸れ竹に覆われた谷を竹をどけたり足でつぶしたり、鋸で切ったりしながら急登を詰めると稜線に出た。右に行くと「上長岩屋」であるが、まずは左手の「鬼死岩」を目指す。稜線を少し辿ると岩峰となり、その両側が切れ落ちた岩頭からは、まさに遮るものが何もない360度の絶景が待っていた。帰りに「上長岩屋」にも寄ってみたが、圧倒的に「鬼死岩」の方が魅力的であった。標高は地図上では「上長岩屋」の方が若干高いが、実際登ってみると「鬼死岩」の方が高く感じて仕方がない。
 いずれにしても近くの二つのピ-クの比較では、景色といい、物語性といい、名前といい「鬼死岩」に軍配が上がるため、ガイド本掲載は「鬼死岩」に決めた。
 かくして、それまで全く知られていなかった「鬼死岩」は、ガイド本により広く認知されることとなった。

上長岩屋集落から見上げる鬼死岩
岩壁の右下に岩屋らしきものが見える
竹やぶに突っ込んでいくわかりにくい登山口
これは2回目の調査で、1回目に付けた赤テープを辿れるか確認
当初はこんな感じの急登
今では、ガイド本で登る人も増え、道ができているらしい
鬼死岩の岩頭。3方向が切れ落ちている。
しかし、なんと地籍多角点の鋲が山頂に打ってあった。国土地理院恐るべし。
危険だから掲載はしない方がという声もあったが、これを紹介しないのはもったいないということで、低山だけど最高難易度表記で掲載した。
国土地理院地図では、「上長岩屋」の方が等高線で10m高い。しかし、実際に10m高ければ明らかに高く見えるはずである。もし、「鬼死岩」が実際には259.9mで、「上長岩屋」が260.0mであればほぼ同じであるが。
一方「鬼死岩」は250mの等高線で表わされているが、山頂付近は狭く等高線の10m高低差範囲を囲ったとしても地図のような平らな地形にはならない。
「鬼死岩」山頂から「上長岩屋」を撮った写真で見てもどうも「上長岩屋」が高いとは思えない。地理院地図にも時々間違いがあるが、岩壁なので等高線表記が難しかったのか。
長岩屋のバイパス道から烏帽子岳と同じ形で重なる鬼死岩
余談であるが、本文登場の古老が上長岩屋集落の南側にある岩峰群のもっとも手前(写真では最も左)の岩を鉾岩と呼び、時期になるとセッコクが咲き乱れるということ。
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