国東半島山ガイド
四方山話その9 狩場山と城成仁王像


ガイド本掲載No.16「狩場山」は、当初のルートは「大分の山登山記」のブログの方などが登っていた赤根から夷に抜ける林道の金ヶ峠から赤根側に少し下ったところにあったオレンジプレートの登山口標識からだった。最初に調査に行ってもらったのはM田夫妻で、克明な調査記録が残っている。
 その後、この調査をもとに若干登りやすいルートに微調整しながらも大きくルート変更はなかった。
 ところが、実は編集者はこの「狩場山」という名前にずっと引っかかっていた。狩場というのは豊後高田市真玉町側の集落名にある。山名が麓の地名を冠している場合はその集落と密接に関係している場合が多いので、きっと昔は東狩場から登っていたに違いないと思っていた。しかし、東狩場側から登る道はないのかと探してもみたが見つけることができなかった。
 その後、ルート確認で赤根側から登った時、峠の野仏の脇に道らしきものが夷谷側に下っているのを見つけた。気にはなったが、その時は時間がなかったのでそのまま赤根側に下山した。しかし、あの道はきっと東狩場の方に下っているに違いないという確信があったので、ルート調査・確認登山の最大のお助けマンであったS藤hさんに、ある時その道を下ってどこに降りるのか確かめてくれないかとお願いした。
 すぐに調査に行ってくれたS藤hさんから「昨日、狩場山に行ってきました。石仏からの道は、雑木林 → 杉の植林帯 → 水田跡 と通過し最終的に東狩場の県道653号、「夷谷温泉まで1.0Km」の看板のある分岐付近に繋がっていました。ガードパイプ(手すり)には、「城成仁王像」への案内看板がありました。このルートは、昔からあった生活道のように感じました。赤いテープもありました。」とメールで報告が来た。
 まさに思った通りで、このメールに心躍ったのを憶えている。やっぱり狩場山は東狩場から登れたのである。
 その後、このルートの確認に行くと、S藤hさんは城成仁王像を迂回するルートを通っていたが、気になった城西仁王像の方に登るとその脇を登る道が稜線に続いていた。その道を登るとなんと峠の野仏に出たのである。この道は稜線からの降り口がわかりづらく気が付かなかった。仁王像を拝んで狩場山に登る。かくしてこのルートが狩場山のメインルートに昇格したのだった。
 それにしても、門番の仁王像があるということは、その奥に大事な仏があったと言える。それはいったい狩場山のどこに何があったのか。謎は深い。


M田夫妻の調査記録
M田夫妻の調査記録写真
赤根側のオレンジプレート登山口標識(今はない)
赤根川登山口から稜線への急登
M田夫妻が山頂標識を設置
登りついた稜線にある野仏
東狩場の県道653号沿いにある「城成仁王像」の道標
城成仁王像
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