国東半島山ガイド
四方山話その8 本山本寺と両戒山


 ガイド本掲載No.37「両戒山」は、六郷満山の入口、学門の研修所といわれる本山本寺(もとやまほんじ)八ヶ寺のうち吉水山霊亀寺、後山金剛寺の二つを抱える由緒ある山である。
 六郷満山の峯入りは、当初御許山から出発していたらしいが、その後は、吉水山霊亀寺(きっすいざんれいきじ)が打ち初めの寺になったと伝えられている。(その後、時代によって変わるが)現在吉水山霊亀寺は存在しないが、両戒集落にある吉水山福昌寺が後継の寺である。福昌寺の住職に尋ねると吉水山は両戒山のことであるという。また、両戒集落から登山口に向かう途中に鳥居があり、古い参道が両戒山中のお堂に向かっているが、その名も吉水神社である。
 では、後山金剛寺(うしろやまこんごうじ)の後山とはどこなのか。昭和59年発行「国東半島六郷満山の伝承」の中の地図では、吉水山とは違う位置に後山が記されている。しかし、後山金剛寺薬師堂跡は両戒山の山中である。両戒登山口から山の北東の山腹を巻いて山頂に向かっていく途中わずかに石垣と石段が残っており、まさに薬師堂跡に向かっている。そうなると後山は両戒山であると思われる。「大分県主要山岳丘陵島嶼一覧」でも両戒山の別名・古名は後山となっている。
 結局、吉水山も後山も両戒山なのか、それとも現両戒山頂が吉水山で、薬師堂跡のちょうど背後にあたる展望地が後山なのか、よくわからない。
 ところで、実は両戒山の最初の調査は宇佐市立石側にある立石登山口からの情報しかなく、そこから「薬師堂参道」の朽ちた道標を目印に荒れた登山道らしき道をヤブコギで登っていった。すると忽然と薬師堂跡と思われる岩屋が現れた。あらためて信仰の山であったことを思い起こさせる。その後宇佐百山の標識が設置されている山頂を確認したのち、下山の途中、薬師堂跡の方に曲がらずに少し行くと展望地があった。
 その展望地から赤テープが違う下山方向に付いているのに気が付き、同行のN上氏にGPSを渡してそれを辿ってもらい降り着いたら電話をくれるように頼んだ。実は調査登山の時に再度調査する手間を省くために何度か違うルートを降りてもらったが、方向音痴のかの方は想定外の所にひょこっと現れびっくりすることもあった。行方不明にならなかったのが幸いである。
 さて、この時はある程度降りる場所が想定できたので、電話がかかって「何か道路が見える」という話だけで了解し、すぐに車を回したが本人は不思議だったらしい。
 そのルートが両戒登山口からのルートであるが、実はこっちがメインルートで後山金剛寺の表参道なのであった。
 いずれにしろ、両戒山から始まって、ガイド本に掲載している近辺の山は、津波戸山水月寺、大折山(応利山)報恩寺、鞍懸山神宮寺など、かつて本山本寺が栄えた歴史深い山なのである。

昭和59年発行渡辺了著『六郷満山の伝承』掲載の地図では、吉水山と後山は位置が離れている。 光現堂や鞍懸山の位置も違うので、この地図そのものが信頼性に欠けるが。
豊後高田市教委発行「六郷満山寺院群詳細調査報告書」の六郷満山地図
両戒山の寺院、史跡地図
吉水神社鳥居
吉水神社の参道
登山道の途中にある金剛寺の施設跡と思われる石垣
金剛寺の参道と思われる石段も残っている
後山岩屋:金剛寺薬師堂跡
薬師如来の石仏
両戒山頂標識
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