国東半島山ガイド
四方山話その5 霧笠山と金の茶釜伝説


 掲載No.41の「霧笠山」は、昔山城があったとされる鞍懸山と同じ稜線上にある。最初の調査で会の重鎮T松氏とS水氏に登ってもらったが、調査コメントは「 尾根取り付いてすぐは、急な岩稜となっており、雨などの際には要注意!岩登りに自信のない方はロープを持参することをお勧めします。」となっていた。
 これでは、一般ルート設定は難しいかなと考え、後日登れるルートを探索しに行った。その時、登山口になりそうな林道終点付近に行くと、ちょうど猪の箱わなを確認しにきた地元の人に出会った。「この辺から霧笠山に登る昔の登山道はないのですかねぇ」と尋ねると、その話の流れでこの山の伝説を話してくれた。それは、「都落ちしてきた姫たち一行が、荷を軽くするために霧笠山のどこかに金の茶釜を埋めたという。後日埋めたと思われる場所を何人か掘り返したけど出てこなかった。さて、その金の茶釜はどうなったか」という落ちのない話であった。なぜ霧笠山なのか、鞍懸城に向かう途中で手前のこの山に埋めたのかどうかなどこの伝説話の中途半端さが気になったが、金の茶釜がどっかに埋もれているかもしれないと思うと俄然面白い山になる。ちなみに県立図書館で史実と伝説の本で探したがこの伝説はどこにもなかった。もっと詳しい話を聞きたいが、その人がどこの誰だかわからない。
 そして、その人が教えてくれた昔の登山道を登ろうとしたが、竹藪に行く手を阻まれたため、別の尾根を登ることにした。それがガイド本のルートである。適当に登ったルートであるが、このルートには思わぬ展望所が3箇所もあり、とても良いルートを設定したと自画自賛している。
 その後、掲載No.42の「鞍懸山」へも難なく縦走できることがわかり、霧笠山から鞍懸山を縦走する周回ルートを設定。最後の最後で二つの山の概念図を合体させて見開きページにする魅力の増した大変更となった。
 なお、鞍懸山にはかつて六郷満山本山本寺の鞍懸山神宮寺があり、その後寺院を改造して鞍懸城という山城が造られたと云われている。その痕跡が残っているというが、素人にはよくわからない。
 ともあれ、この山塊は、ガイド本ができるまではほぼ登山の対象となっていない山であったが、岩肌が露出し展望の利く耶馬地形と六郷満山や戦国時代の遺構も残す浪漫溢れる山なのである。

T松氏、S水氏が最初に登った霧笠山直登ルートの岩場
T松氏、S水氏が調査で登った霧笠山と鞍懸山直登ルートは破線。最終的に設定したルートは実線
霧笠山ルートの第2の展望所から国東半島中央火山群
霧笠山ルートの山頂直下展望所から鞍懸山と華岳
霧笠山から鞍懸山縦走ルートの途中から
鞍懸山頂から霧笠方面に少し下った少し平らな場所にある石碑。山城の痕跡か?
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