国東半島山ガイド
四方山話その4 小門牟礼城と御所の陣跡


 掲載No.7の「小門山」は、「しょうもんざん」「おどむれさん」「おどむれ」と人によって呼び方が違っていたので、いったいどれが正しいのか成仏寺の住職に聞きに行くと、少し下手に元先生で詳しい人がいるからその人を訪ねたらよいと言われてその足で訪問した。
その方曰く「読み方は『おどむれ』です。『やま』はつけません」ということでガイド本のよびなは「おどむれ」に決定した。そもそも山頂にあった山城は小門牟礼(おどむれ)城と言われている(なお、於菟群や雄度牟礼とも書く)。牟礼の付く山の名前は猪群山、小牟礼山、花牟礼山、熊群山など大分県に多い。「ムレ」とは朝鮮語に起因する丘や山という意味で、漢字では牟礼や群と普通は書く。そもそも牟礼が山の意味なので小門牟礼の牟礼を現代の山の字に変えて「むれ」はそのまま発音したのだろう。そういう意味では○牟礼山や○群山の方が山重なりといえる。
 ところで、県立図書館で見つけた大分県の遺跡地図に小門山北東320mに御所の陣城跡という記述を見つけていたので、その方にそれを尋ねるとその御所の陣城にまつわる歴史話が延々と始まった。話が長すぎてほとんど覚えていないが、城主大友一族と田原一族の戦の話だったと思う。その戦の中で大友の姫を匿うため潜んでいたと云われる岩屋があり「姫隠しの岩」と呼ばれているという話に興味が湧いた。
 後日、その岩屋と御所の陣跡を探しに出向いたが、岩屋はよくわからなかった。御所の陣跡は山の中に突然現れる山桜が咲き誇る広場で、土塁のようなものがあったり石柱が転げていたりと、かつてここに城があったのかとその当時に思いを馳せるような空間であった。その御所の陣跡から小門山の麓に続く稜線を、もしかしたら面白いルートになるかもしれないと赤テープをつけながら辿っていくと、それは快適な稜線で、登山口付近に辿り着けることがわかった。途中礫岩がむき出しの垂直な壁があり、これは是非紹介したいと勝手に「隠し砦」と命名し概念図に記載した。
 このフラットで長い稜線には、地図上で「これより14まがり」の道標からいけそうだったので、後日再度そのルートを設定し、成仏寺からの周回ルートとした。
 そうして、この小門山のガイドルートは、電波塔のある山頂への急登を短調に登るしょうもんねえルートから小門牟礼城と御所の陣跡の山城を廻る魅力あるルートになったのでした。

山頂に設置している小門牟礼城説明板前半部分 この看板では小門山は「しょうもん」とふり仮名をふっている
小門牟礼城説明板後半部分
御所の陣跡の山桜。広場の周辺はやや小高くなっている。
御所の陣跡に転がっている石柱(石板)
御所の陣から小門山麓への稜線上にある不思議な地形を勝手に命名「隠し砦」 でもなぜこんな垂直な壁ができたかのだろうか。もしかして人工物?
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