国東半島山ガイド
四方山話その1 蛇谷伝説


 掲載No.55 の蛇谷山は、本格的に調査を始めた2013年にマイナーな山として初めて藪を切り開きながらルートを設定した記念すべき山です。
 国東町の赤松谷の奥にひっそり佇む弘法大師堂を抱え、登り口の岩には何体かの野仏が祀られているなどとても国東らしい山で会独自の山頂標識を最初に設置した山でもあります。
 ところが、何年か経過する内に山頂稜線付近まで伐採作業用の立派な林道が延び、設定したルートが無駄になりそうな趣のない山となってしまったので、ガイド本から外そうかなと考えていました。
 そんな思いを抱きながら製作も佳境を迎え、山の名前の由来や半島の地質、歴史や昔話など、国東関係のいろんな書物を調べようと幾度も通った県立図書館の郷土情報室で「蛇谷伝説」という冊子を見つけました。もしかしたらこれは蛇谷山と関係があるかもしれないと心躍ったのは言うまでもあり奈ません。
 それは、武蔵町立武蔵西小学校が作成した武蔵町の丸小野の谷に伝わるという蛇谷伝説とその伝説から生まれた蛇谷太鼓の話でした。
 ガイド本にも記載している蛇谷伝説とは、「丸小野に蛇谷という谷があり大蛇が現れ村人を恐れさせた。ある時地元の鉄砲名人麻生直政と清原道念が大蛇退治に出かけ、現れた大蛇ののど元に鉄砲を撃ち放すと大蛇は地響きを立てて倒れ武蔵川を三日三晩血に染めた。また、大蛇を倒した翌朝には、とある軒先に鋭い剣が刺さっており村人はその不気味さに恐れおののいた。数日後鉄砲を放った道念も息を引き取ったため、村人は谷に火を放ち大蛇を焼き殺した。」というもので、剣の刺さった家は今でも「剣軒」と呼ばれているということ。
 その蛇谷と云われる谷に行ってみようということで、丸小野集落を訪ね、ちょうど庭先にいた女性にそのことを尋ねると、まさにその家が「剣軒」の家だった。驚くと共に蛇谷の奥の山が「蛇谷(じゃだに)山」だと聞き、やっと蛇谷山の名前の真相を確信することができた。
 その後教えられた谷を登っていくと伝説の小さな3段滝に出合い更に上り詰めると蛇谷山頂のすぐ下に出た。まさに蛇谷山に再度魅力が蘇ったできごとだった。
 普通の里山が伝説の山に。国東の山は面白い。

会最初の山頂標識
何年か経ち支柱が朽ちてしまったので木に付け替え
赤松側麓の弘法大師堂
弘法大師堂から少し登ったところに野仏群が
武蔵町丸小野の蛇谷入口の道標が道端に
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