剱岳(2999m+α)

【メンバ-】

 CL S水、SL I籐、H田野、M前



【山行行程】

・平成31年4月30~令和元年5月4日

 5月1日・・・・富山観光
   2日・・・・室堂~剱沢
   3日・・・・剱沢~剱岳~剱沢~雷鳥平
   4日・・・・雷鳥平~室堂~大分



【コメント】CL:S水

 今年の春山は10連休!せっかくの長期間の休みなので、経験者から新人まで多くの会員が参加でき、いろんなルートを選択できる立山周辺の合宿を計画した。
 この山域は、3000mを超える雄山をはじめ、大日岳、浄土山、そして、岩と雪の殿堂、剣岳など、黒部川と称名川から富山平野へ流れる源流の山域で、富山市街地より望むことのできる北アルプスの骨格をなす峰が連なっている。特に、この地は世界有数の豪雪地帯であり、厳冬期には人を寄せ付けない厳しい気象条件となる。唯一、春の残雪期には、文明の力を最大限に使用して立山アルペンルートが開通させることにより標高2500mまで気軽に近づくことのできる山域でもある。そのため、九州では経験することのできない積雪期の経験値を得ることのできるバリエーションを計画できると思っていた。
 しかし、悲しい日本人の嵯峨なのだろう、あまりにも長すぎる休みなでどう対応してよいのやら、戸惑い感を隠せないと感じたのは私だけであったろうか。せっかくの連休にも関わらず元号が変わったことによる対応や長すぎる休みの対応などで仕事になったり、どうにも有効に休日を利用できない社会状況を感じられずにはいられなかった。
 当初10人程度での計画していたものが4名での春山合宿となってしまったが、テント泊での快適性や共同装備、食料などの重量配分など、ある意味、身軽に行動できる人数となり結果的に無理をせずに行動が可能となった。また、コンテニュアスでの登山技術の伝授を効率的に行うためには、1対1でザイルを組むことがもっとも良いのでその点でも、少人数の山行は成果があったと思う。不安定な天気をついての剱岳アタックも我々を穏やかな表情で迎え入れてくれ、山の醍醐味を十分に味わうことができた。



【コメント】SL:I藤

 過信?慢心?
 五年ぶりのこの季節の剱岳に行ってきました。私自身、積雪期・無雪期を合わせると10回近く剱岳の頂上に立たせてもらっています。今回も自分が楽しむことはもちろん、雪の剱岳を経験してない会員によいチャンスとになるかと、S水リーダーと計画した次第です。
 今年は例年になく、ぐずつき気味の天気に予定を変更せざるを得ませんでしたが、結果的にはリーダーの判断がすべて最良の結果をもたらしてくれました。
 久しぶりの剣沢でのテン泊でしたが、風が強く一晩中テントをたたく風に悩まされました。翌朝は、風は強いものの良い天気で頂上を目指しました。時間はかかりましたが、無事頂上を4人で踏むことができ下山にかかりました。問題は前剱岳の下り、登るときからアンザイレンしていましたから確保しながら高度を下げていきましたが雪は腐っていました。3ピッチ目、私の下りの時、前向きに降りていたとき、右足が滑りました。団子状態のアイゼンで7~8m滑落、左足が雪に刺さりストップしました。アイゼンは団子にならないという新しいものでしたが、雪質によっては要注意ということがわかりました。アイゼンワークには少々自信があり、団子にならないアイゼンをはいていたという過信、慢心がパートナーと同行者に心配をかけてしまいました。この年になって改めて慎重に山に向き合うことの大切さを思い知らされました。反省!



【コメント】H田野

(はじめに)
 剱岳へのきっかけは、雲ヶ岳「平成最後の元日登山」まで遡る。下山後、雲ヶ岳を守る会のみな様によるお餅のお接待をうけ、帰路に付いた車内でのこと、S水前会長に「今年の山の予定は??」と伺ったところ「GWに劔に行くよ」との返答があった。心の中で、「自分には雪と岩の劔は技量的に絶対ムリ、関係無いかな」と思っていたところ、「いっしょに行こうえ、メンバー次第で、立山やら大日岳とかもあるから、ぜんぜん大丈夫」と予想外のお誘いがあったのがきっかけである。 私は「そうなんですねGWお願いします」と安易な気持ちで返事をしてしまった。今思うと、劔へのアタック前日のシュラフの中で恐怖のあまり一睡もできないことになろうとも知らずに・・・

(準備・計画)
 5月春山とは言えもちろん冬山装備が必要なわけだが、豊嶺会で合宿に参加するのは10年ぐらい前に2月の西穂高岳へ行ったのが最後、その当時の装備ほとんどをヤフオクで売り払って現金化し持っていない。道具の準備から始めることとなり金がかかる。寒いのは絶対嫌なのでヤッケと手袋だけは少ない小遣いをやり繰りし新調した。共同装備のチェック、テントの点検整備・張り方勉強会、食糧計画など新人に教えるようにM田夫妻より手取り足取りアドバイスを頂けた。当初は、10名程度参加予定であったが元号改変や選挙の絡みもあって4名にまで減った。少人数で班を分けるわけにもいかず、立山や大日岳の選択肢は絶たれ、幸運にも初心者の私が岩と雪の殿堂「剱岳」へと挑戦することとなった。概略の山行計画、食糧計画を私が仰せつかることとなり、劔へ向き合う心の準備も現実味をおびてくる。

(出発)
●4月29日(出発前日)
 連日の雨模様、翌30日の出発も危ぶまれ憂鬱な中、SLのI藤さん家に計画書を持参した帰り道、「とまれ」で一旦停止したところ後ろから追突事故にあう、幸い大した被害はなかったが気分がさらに滅入る。
●4月30日(出発日)
 朝から、前日の事故の影響で病院へ行ったり色々と時間が掛かり集合30分前にギリギリ準備が整う。相変わらずの雨模様、昨日よりさらに雨脚は強くなっている。妻には「お父さんが行く登山は何時も雨やね、おみやげ宜しく」と送り出される。雨の影響で交通渋滞も重なり結局、40分遅れの16:40に出発。しかしながら遅れたことが運よく高速道路通行止めは解除され幸先の良いスタートとなった。約13時間のドライブ、唯一の楽しみといえば食事。美東SAはGW真っ最中なかなかの混雑で、時間を要する注文は遠慮し普通のカレーライスを注文した。カレーライスを食べていると、隣の席から「平成最後の夕食だね」との声が耳に入り、俺の平成最後の夕食は何の変哲のないカレーライスだったなと思うと同時に昭和最後の日は何してたっけ?と意味の無い思いを抱いた。

(いよいよ本番)
●5月1日(停滞日)
 令和元日、やはり雨は勢いを増すばかりのどしゃ降り。メンバーの皆さんはスマホの天気図とにらめっこ、冬型の気圧配置と低気圧とともに富山方面に移動しているらしい、朝方に金沢を通過しSAで朝食を取るときには空は明るく雨も止んでいた。お天気回復傾向かなとぬか喜びしていると、I藤SLとS水CLが低気圧を追い抜いて移動しているあと30分後に雨が降り出すぞと話していた。「ほんとかな~?」と疑うつもりはないが様子をみていると、ぴしゃり的中し見る見るうちに雨が降り始める。今後の天気についても予報が変わり、一日中「雨」模様。さらに温度が高く室堂周辺も雨が予想される。苦渋の決断であったが、きょう一日は「富山観光」となる。この決断は結果的には後の最高の天気へつながる事となる。世界遺産の合掌造りや新しくなった富山駅など、富山の見どころを2時間程度満喫し、立山駅近傍の温泉施設でドライブの疲れを癒す。コンビニで買い出しし、立山駅駐車場にて車中泊。参加人数4人に対し定員11人乗りのハイエースワゴンはオーバースペックではと計画段階より気になっていたが、思いのほか車内は広く使え宴会+フルフラットで熟睡でき最高の車中泊となり翌日からの山行への鋭気を養うことができた。

●5月2日(入山日)
 やはり朝から雨が降っている。80リットルのザックを背負うのは久しぶりで肩にめり込む。楽しいテント泊のことを思うと大したことはない。室堂まで上がるころには天気は回復し快晴となった。室堂ターミナルを一歩踏み出すと一面の銀世界、日焼け止めとサングラスが大活躍。S水CLを先頭に剣御前小屋への急登を快調に登っていたとき思いもよらない事態に遭遇する。S水CLの「あ痛!」の声と同時に転倒、私の足元にはスキーの板が止まっている。一瞬の出来事で訳が分からない。上方20m程度の処に、転倒した山スキーヤーがいる。すぐに状況を理解できS水CLの足がスキー板エッジで切れてないか気にかかった。幸い打撲で済んだが、運悪ければ死亡事故にもつながる重大事故である。そのスキーヤーが駆け寄ってきた、我々は当然ながら感情に任せ吐き出すように叱責するのだが、謝る声とくるっとした目からなんと若い女性だった事がわかり、さっきまでの怒りに任せた声のトーンも勢いが段々無くなり穏やかに遂には優しくなる。もしも加害者が男性であって態度次第では鉄拳制裁も辞さない状況であったが、男たるもの本能的に女性を怒ることはできないようになっているのだろう。彼女がスキーの板を整えその場を安全に去るまで厳しいながら優しいアドバイスをすることとなった。
 無事、劔沢天場へ到着しテント設営、トイレへの道(穴)掘りなど1時間ほど費やし宴会スタートとなる。テントのから外を伺うとガスは無くなり、昨日までの雨がうその様に晴れ上がって、別山尾根から剱岳、源次郎、八ッ峰まで一片の曇りもなくスッキリと目に映る。前劔の上りが限りなく垂直に見える。あそこを登るんだろうなと薄々には分かっていたが、S水CL、I藤SLに確認すると「もちろん登るよ。絶対に落ちるなよ」と・・・その後も前回の山行の事や危険個所のアドバイスなど話を聞けば聞くほど恐怖で意気消沈していると唯一期待の持てた言葉が「案外、近くで見ると大丈夫だぞ」と。めちゃくちゃ風の強い中眠りにつく。心のどこかで「強風なら中止もあり得る?」と弱虫も現れる。恐怖のあまり寝れない、考えることは悪いことばかり。一応、何かあればこれを見てと保険の事や家のローンのこと、緊急連絡先など妻には一覧を整理し託してきた。ここまで来て後戻りはできない、覚悟を決めて「案外、近くで見ると大丈夫だぞ」との言葉に期待を持とうと決意する。

  ●5月3日(登頂日)
 結局、ほとんど寝れないまま朝を迎える。夜中にトイレに行くときテント出口が雪の壁になって出られなかった。テントより外に出て確認すると、外張りの出入り口全部が大きな雪山になっていた。真冬は新人がテント外にでて潰されないように雪かきが必要らしい。吹雪で雪かきなど想像するだけで極寒期のテント泊は遠慮したいものと心から思った。
 4時出発の予定であったが雪かきの影響で雉打ち含め準備が整うまでに5時30分となった。サブザックにフル装備の格好でいざ出発。1日予定変更したかいもあり天候は最高となった。最高のリーダー、隊員での挑戦、あとは自分次第技術的な取り柄は全くない私は登頂したいとの思いよりも大げさかもしれないが「生きて無事帰りたい」との思いが本心で頑張るしかないと自分に言い聞かせる。本格的に登攀開始。アイゼンの足使いなど基本的なことも身についていない。S水CLより要所要所で指導頂き何とか前劔のぼりまで到着、落ちたら即「アウト」との恐怖を感じながら登ってきたが更なる本格的な雪壁登りはここから先でアイゼン+ピッケルで登る。S水CLの「気合い入れて行け!!」との掛け声で登攀開始。恐ろしい雪壁だろうに名前がないのがもどかしい「案外、近くで見ると大丈夫だぞ」との言葉どおり滑落することも無く登れた。しかしながら実際の恐怖は下りであることが後々わかる。前劔を過ぎ、難所といわれる平蔵の頭、難所のカニのタテバイ、ヨコバイなど有名どころが幾つも現れるが、初めての私にとってはきょう1日すべてが恐怖で何がなんだか1か所ごとに感想を抱くことなど当然ながら余裕もなかった。ほどなくして、やたらと切れ落ちた尾根を歩き岩の祠が見えてきた。そろそろ頂上かなと思っていたが、S水CLより「もう少し前進しろ」と指示、祠よりさらに前進すると完全に標高2999mを超え3000mだよなと思っていたらI藤SLとS水CLも同じことを話していた。
 憧れの劔のてっぺんに立った。S水CLより「登頂おめでとう」との声を頂き4人で握手をする。周りの景色と自分たちのテントが見える景色でこの時ばかりは恐怖心は消え達成感と生きている実感からほっとし感動の涙が出た。
 休むことなくすぐに下り開始。名だたる有名な箇所を通過し、前劔のぼり(あたりまえですが復路はくだり)に到着。
 登る方がまし、下りは雪が緩く本当に恐ろしい。ロープで確保してもらいながら下る。思いのほか時間を要し高度を下げることができない。ベテランの方々であれば難なく通過できる所でああろう箇所が、ヘタレの自分には厳しい。雪山は、滑落しない技術や注意力、体力、経験が求められる、私のような未熟な者がいるとメンバー全員の能力を喰うことになり、重大事故につながるのだろう。やはり安易な気持ちでは雪山登山はしてはいけないと思い知った。その後も、「危険」「危ない」など表記される看板はないものの落ちたら即「死亡」の危険地帯を通過しテント場まで無事到着。やっと安心できる安全地帯へ戻ることができた。振り返れば剱岳山頂は既にガスの中、次回は景色を楽しむ余裕をもって挑みたい。
 休憩もつかの間、濡れた重たいテントを担ぎ雷鳥沢テント場まで2時間を要し移動する。ぐったり疲れ今晩はぐっすり眠れそうだ。合計行動時間13時間、行動時間が長くなることは予想していたが、もし途中で体調不良や事故にあっていたらビバークも十分あり得るんだなと感じる。疲れれば安全意識も疎かになることだろう。危険もあるけど、登り終えた達成感とスカッとした気分にさせてくれるのが厳しい山の魅力。この気持ちよさが病みつきになってしまう。 

(おわりに)
 折しも令和元年、剱岳「令和最初の元年登山」となった今回の春山合宿。とにかくすべてが良い結果につながり最高の山行となった。
 S水CLには、不甲斐ない私を辛抱強く指導していただいた。大きな穴に何度も足を取られたとき「考えながら歩け!!」と言われたときは、「怖いな、落ちたくないな」「早く安全地帯に帰りゆっくりしたいな」などと邪な考えをもって歩いていたことに気づかされた。登山の基本が身についておらず、自分勝手で独りよがりの登山スタイルに反省させられました。時には厳しく励まして頂き無事下山まで導いてくれたことに感謝します。
 I藤SLには、私が四つん這いで確保され行動するような箇所も平地を歩くように「ひょいひょい」と身軽に行動する姿や、緊張した場面でもウイットに富んだ会話で場を和ませていただき助かりました。
 M前さんは初対面でありましたが、恐怖や辛さを共感できる唯一の仲間であったことで何よりも頼りになりました。ありがとう!

 登山は趣味として素晴らしい。これらの活動は家族とどう繋がっているだろうか。I藤さんにしてもS水さんにしても、家族から「気をつけて」とか「おつかれさま、どうだった?」など心配や労いの言葉が自然と出てきていた。私はというと、妻『・・・(不機嫌)、自分ばっかり遊んで』、実母『そんな危険なことまだしてるの?』という始末。自分の回りにいる人は自分の写し鏡と言うがこれまた普段の行いに反省させられる。子育てで忙しい時期は、登山に行かないことで家族の理解を得ようと努力したつもりだったがまったく意味をなしてなかった。今までの行いを戒め、諸先輩を見習い少しでも家族の理解を得る努力は必要だと切に感じた。

 豊嶺会50周年を迎える。会の発展のためには会員とその家族が豊かになる必要がある。私が会に貢献できる影響全く無いが、今回の山行にしても小さな実績が残せたことは確かに意味あることである。その小さくとも確かな歩みは継続することにこそ意味を持つ。I藤さんにも言われたが、先輩たちが築き上げた功績をしっかり引き継ぎ今後も会との関わりを継続していきたい。また、日々の暮らしの中にも登山に対する家族の理解を得ることは必ずある。よき社会人・良き家庭人として自分にできることは何か考えながら歩んでいきたい。

 最後に天皇代替わりに伴う10連休初日の27日から28日にかけ遭難が相次ぎ、今回の行動エリアにおいても立山雷鳥沢で登山者の死亡事故があった。亡くなった方のご冥福を祈るとともに残された家族が気にかかる。やっぱり家族にだけは絶対に迷惑と心配をかけてはいけないと思った。



【コメント】M前

4月30日
 16時に日出の伊藤邸に集合出発の予定で、M前いきなり遅刻。言い訳は、霧で高速道路通行止による渋滞に巻き込まれる。結局16時40分ごろ出発。(門前寝袋の下に敷くマットを忘れ、I藤さんに借りる。) 出発が遅れたお陰で、高速道路が再開・・・。めでたしめでたし。

5月1日
 交代で車を走らせ、令和元年を兵庫の揖保川サービスエリアで迎える。順調に走り、朝6時に富山県到着。しかし、天候が回復せず清水隊長の判断でこの日は富山観光に。(この判断が大正解!)世界遺産の合掌造りや、富山駅、環水公園などを巡り、早々に温泉へ。コンビニで夕食と、翌日の朝食を買い込み、15時ぐらいに立山駅の駐車場へ。多くの車が停まっているが、ちらほら空きもあり駅の最寄りに駐車。2度ほど外国の方に車をぶつけられそうになり駐車位置を若干変更。車内でビールと焼酎で決起集会。18時ぐらいに就寝。

5月2日 5時起床
 ケーブルカーのチケット売り場には既に大勢の人が並んでいる。慌てて登山準備をしながら交代で列に並ぶ。ざっと100人弱が並んでおり、6時に発売開始。6時20分ぐらいに購入。7時10分のケーブルカーに乗れる。繁忙期なので、通常20分おきに出発のケーブルカーが、この時は10分おきに。
 美女平から室堂へは、バスに乗り換えて向かう。この間で雨が雪に変わる。雪の大谷を超えて立山ホテルへ。
 室堂で装備を整え9時ごろ出発。雷鳥沢には沢山のテントが。水を補給して、ここでアイゼンを装備(H田野、M前)。北日本新聞に取材され写真撮影されるも、翌日の新聞には別の人が掲載される・・・。我々の写真用の笑顔を返せ。

 雷鳥坂を登っている途中で、スキー板が上から滑ってきて、S水隊長のスネに直撃!スキーヤーのお姉ちゃんを注意し剱御前小屋へ。剱御前小屋で入山届を提出。
 13時ごろ、テン場の剱沢に到着。数グループしかいない。I藤さん「少ねぇのぉ~」 前の組が残していったテント跡を再利用させていただく。スコップで整地しながらテントを設営。同時に吹き溜まりで埋まったトイレを発掘。雲が少し抜け、剱岳が見えるようになる。しかしかなりの強風。こんなに強くて明日大丈夫かな?
 15時ごろテント内に入り、夕食の準備。アルファ米とレトルト牛丼、味噌汁付き!ビールとウイスキー、ブランデーもあり英気を養う。
 17時ごろには完全に雲が切れて快晴に!しかし相変わらず風が強く寒い!
 19時前に就寝。が、テントを打つ風の音がうるさ過ぎて眠れない。正直緊張もある。テントが雪に埋もれ、2ヶ所ある出入り口の1ヶ所が使用不能に。

5月3日
 4時からテントを掘り起こし、朝食の準備。チキンラーメンのぶっ込み飯。熱い紅茶を作ってテルモス。
 5時30分、快晴の中出発。風も少し落ち着いてきた。
 6時30分、剣山荘の裏から一服剱へ。
 一服剱から見える前剣に取り付く2人組。アンザイレンで登って行く。超急登。ほぼ壁。まさか、あそこ???

 ここから全く写真を撮る余裕がありませんでした・・・。

 S水さんI藤さん、それぞれとアンザイレンしてアイゼンワークや登り方を習いながら進む。雪は比較的しまっているが、所々で緩いところがあり、中々進めない。M前は高所に弱く、酸素不足で息切れ。アップダウンが続き、体力を奪われる。(M前個人の感想です)
 平蔵のコルあたりから見える、早月尾根や平蔵谷から山頂を目指す別のグループがちらほら。富山県警の山岳警備隊2名とすれ違う。トレーニングなのかな?ご苦労様です!
 梯子を登りカニの横ばいを抜け、山頂直下で先行していた組と離合。

 10時 無事に山頂到着!
がっちり握手をして、感動でちょっと泣きそうでした。祠も雪の下に。きっと山頂は2999m以上の高度になっていたはず。雪庇を踏み抜かないようにあんまり動けない。4人で記念撮影。少し雲の中。
さて、早々に下山です。既に脚が疲労気味で少しフラついています(M前個人の感想です)。きた道を戻りながら、隊長は谷に降りるコースを提案しますが、I藤さんは「前剣やろ!」。まじすか。あの壁を降りるのですか・・・。どうやって???
 前剣の降下場所から見下ろすと、谷の底までよく見える。恐怖。

I藤さん「ほら、行け!」
まじすか・・・。

脚がすくみながらもゆっくり後ろ向きになり、ピッケルを刺して、足を蹴り込む×2回。3点支持!!!雪が腐ってて、蹴り込んでも足元が崩れる。雪団子がアイゼンに付く。滑る。落ちる。恐怖。それぞれペアで確保しながら(してもらいながら)4ピッチほどで降りる。

 15時ごろ、精魂尽き果て(M前個人の感想です)なんとかテン場まで戻る。最後は一言もしゃべれませんでした。ただ黙々と歩く・・・。

ここでS水隊長「よっしゃ!テント片付けて雷鳥沢に戻ろう!」
まじすか!?

既に気力体力を使い果たし、脚ガクガク。今すぐにでも就寝できるコンディション。荷物が増えて(一番軽いザックがM前です)、剱沢からの登りに耐えられるのか・・・。
みなさんに気を使っていただきながら、沢からの登りを先頭で歩く。終始下だけをみて、足跡をトレース。ゆっくり歩く。何も考えない。ゴール(上の小屋)を見たら挫けるから、ひたすら下だけを見て止まらないようなペースで歩く。励ましの言葉にもこたえられない・・・。1時間かけて剱御前小屋に到着・・・。ただ夕日が綺麗!

あとは雷鳥坂をくだるだけ!雷鳥沢のテン場もよく見える。やはり脚はガクガクで膝から砕けそうになりながらもなんとか下まで。あまりにもボロボロ過ぎて、H田野さんに「荷物置いて迎えにくるよ!」って声をかけてもらう。さすがにそれは申し訳ない(一番軽いザックがM前です)ので、「なんとか頑張ります!」

最後は地べたに崩れ落ち、なんとか到着。晩御飯はカレーライス!!食べられないかと思ったけど、ぺろっといただきました。ウイスキーとブランデーを飲み、(M前は水を沢山飲んで)20時ごろ就寝。間違いなく爆音のいびきだったと思います。ごめんなさい。

5月4日
 5時に起床。晴天のせいかかなり寒い。火を焚きながら、荷物の整理。朝一番、室堂8時発のバスに乗るため、6時に雷鳥沢のテン場を出発。大日岳、奥大日岳もよく見える!!
7時過ぎに室堂に戻ると、8時始発のはずが臨時便があり7時30分始発に。
9時ごろ無事に駐車場着。荷物を整理して、富山市中心部の温泉へ。入浴後立山蕎麦を食べて、富山インターから高速へ。交代で運転しながら、23時前にI藤邸に到着し解散しました。

 普通では絶対経験できない貴重な体験をさせていただきました。登山許可が必要で、この時期は富山県警にもらわないといけない事を初めて知り、私個人では絶対入山も出来ない場所なんだと実感しました。また、ここまで山を怖いと思ったことは今までにありませんでした。決して舐めていたわけではありませんが、まだまだ油断があったんだと思います。上り方や判断、装備の大切さや事前準備の大変さ(ありがたさ)、道具の使い方などまだまだ知らないことだらけです。会の先輩たちが教えてくださることを、今後も後世に伝えて行かなければならないんだと実感しました。きっとそのような思いが繋がって豊嶺会は50年目を迎えているんじゃないかと思います。
 H田野さんに買い出し、準備等ほとんどやっていただきました。計画はS水さん、I藤さんに。私だけおんぶに抱っこ状態なのに、いの一番にガス欠になり、本当に申し訳ない限りです。この経験と反省を活かせるよう、精進していきたいと思います。

 山頂にどうしても40周年のタオルを持って行きたかった「山に感謝 仲間に感謝」

【山行写真】
天候回復を待って世界遺産の五箇山、クライミング聖地の城端を観光
天候回復を待って車中泊、早朝の立山駅で装備チェック
標高2,450m室堂の駅、ごった返す観光客のすき間で入山準備
いざ入山、雷鳥平に向けて
時より突風が吹き荒れる中、長い長い雷鳥坂を登り剱御前小屋を経由して剱沢に到着
テント場を造成中、代わる代わるスコップを振るい風よけのブロックを設置
テントを設営
テントより剱岳を望む。天気は良いが時よりかなりの突風が吹き荒れる
一晩中吹き荒れた強風も、テントの中では快適
強風も幾分収まり、早朝の剱岳
いよいよ剱岳アタック、剱沢を出発
いっぷく剱でいっぷく!前剱の登りを望む
いよいよ前剱の登りに入る
かにの横ばいを経由して剱岳山頂へ
剱岳山頂
後立山の稜線
飛騨山脈の毛勝山方面を望む
無事登頂を果たし、剱沢に設置したBCを撤収後、疲労困憊の身体にムチを打って剱御前小屋目指して剱沢を登り返す
夕日の中での雷鳥坂の下り、夕日がとても綺麗
雷鳥沢と立山の夕暮れ
無事雷鳥平のテント場へ到着、早朝に行動を開始してから13時間の長丁場の行動
剱岳山頂にて!
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